2017年6月25日日曜日

ホルヘ・ルイス・ボルヘス/幻獣辞典

アルゼンチンの作家による辞典。
世界各国に伝わる架空の存在について項目ごとに記したもの。
この手のジャンルだと真っ先に中国の「山海経」が思い浮かぶが、あちらは今日では架空の生物を当時の本当にいるように書いているのに対して、こちらは現代に架空のものという前提で書いているから中身というか趣はだいぶ異なる。

私もボルヘスに関しては思い出したように何冊かをつまむように読んでいるだけだから詳しく知らないが、「知の巨人」と称されるようにとにかく博識・博学でいわゆる書痴のような人だったようだ。(図書館の司書をやっていて本をたくさん読んだとのこと。)そんな色々な原典からの知識をボルヘスが再分類、再構築してまとめたのがこの本。だからこん本に関してはノンフィクションということになると思う。
全部で120の項目があり、神話に出てくる怪物、妖精、妖怪、神獣からカフカの短編に出てくる奇妙な「オドラデク」まで。”架空である”ということを条件に古今東西の存在についてその存在の(主に宗教が関わって生じる)高低を御構い無しにどんどん紹介していく。日本でいうとヤマタノオロチなんかがその名前を連ねている。大胆にも原典からそのまま地の文を乗せているいくつか項目もあるが、基本的にはボルヘスが自分で得た知識をまとめて説明を書いている。今読もうとすると難しかったり、そもそも手に入りにくい原典からボルヘスがわかりやすい言葉(はじめ学生の頃ボルヘスの本買ったら難しくて諦めたんだけどこの本を最初に買えばよかったなと)で書かれている。辞典といっても体長や重さ、といった共通の項目があるわけではなく、それぞれの原典に書いてあることを抜粋し、再構築の上まとめているので項目によって結構書かれていることはバラバラ(当然書かれていないことは性質上書けないし、ボルヘスも自身の創造力で持ってその空白を埋めるようなことはしない。)なのだが、そういった意味では物語というよりはやはり非常に辞典的である。標本といっても良いのだろう。別々の世界(本)から採取された異形の怪物がなるべく第三者的な視点で持ってわかりやすくガラスの中にピンで止められている。異形のコレクションはあくまでもボルヘスが集めたものであって、彼が生み出したものではない。こう書くと無味乾燥な、とっくに存在が否定された死んだ知識のカビ臭い収蔵庫と思ってしまうけど、実際はそんなことはない。神話で生きる異形たちはそれだけで存在しているわけではない。その背後には絶対何かしらの歴史や背景がある。誰かの子供で、何をしたかということがその存在に詰まっている。宗教ではその存在自体が何かの象徴であることも多い。要するに物語が詰まって居て、なんなら存在自体が物語なわけでその異形たちを冷静に説明していったらその背後にある物語性が否応無しに滲み出してきて、これがたまらなく読者の好奇心をくすぐるのである。一体異形はなんで異形出会ったのか、その多すぎる足は、その恐ろしいツノは一体なんのためであったのだろうか?ということが頭に去来するわけで、この想像の楽しみはいわば読書の醍醐味ではあるまいか。神々の創造という一大事業に不遜ながら私のような矮小な人間が入り込めるのだから、なんとも背徳的といってすらいい楽しみがある。

物語を主体とした本ではないのでとっつきにくそうな気がするが、誰もが知っている架空の存在たちについて短く書いているので、むしろとても読みやすい。知っている名前のところだけちょいちょいっと読むだけでも非常に面白いと思う。特に日本人は架空の神性についてゲームなどの創作物で慣れ親しんでいるから、結構誰にでもお勧めできるのではと。

Cavernlight/As We Cup Our Hands and Drink From the Stream of Our Ache

アメリカ合衆国はウィスコンシン州オシュコシュのドゥームメタルバンドの1stアルバム。
2017年にGilead Media(Thouとかドゥーム/スラッジ系のリリースが多いようだ。)からリリースされた。
2006年に結成された4人組のバンドとのこと。バンド名は「洞窟光」だろうか。アルバムのタイトルは「手でカップを作って(両手を合わせるあれね)私たちの痛みの流れからそれを掬い、飲む」というような感じだろうか。よろしくないですね。曲名も軒並み長くて嫌な感じ。

全5曲で35分40秒、1曲だいたい7分前後だ。ドゥームにしてはバカみたいに長いわけではないが、アルバムを一通り聞けばこれが程よい長さだとわかるだろう。これ以上長いとこちらが死ぬからだ。いわゆるトーチャースラッジとは異なる地獄感のある音楽を鳴らしている。
粒度の荒いジメッと質量のあるギターが圧殺リフを奏でていく。ひたすら遅く爽快感のある疾走とは無縁の世界で真綿で絞め殺されるような展開が続いていく。何かよくないことが最近あったのに違いないボーカルが共感しないし、共感されることを拒否しているかのような世捨て人スタイルで吐き出していく。
これだけだと確実に真っ暗でしかないのだが、このバンドはこの地獄の中にそれこそ芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のように、カンダタに降ろされた一本のか細い蜘蛛の糸のような救いが、例えば妙に冷たくありながらも人間的な、ただし非常に単調でメロディ性のわずかな残り香が感じられるようなシンセ音に託されている。これがまた良い。蜘蛛の糸が結局千切れることでカンダタをもう一度地獄に突き落としたかのように、逆説的に希望がその周りの地獄感を際立たせるからだ。これはえげつない。なんてひどい。
実は感情的でありそういった意味ではフューネラルドゥームさを感じる。強烈な音楽性の中にも寂とした自傷的なデプレッションを表現するあの感じには通じるものがある。そう思ってよくよく聞くとコード進行なんかは結構温かみのあるメランコリックな人間性が感じられるから面白い。女性ボーカルの導入、曲中のメリハリのある展開、贅沢な尺の使い方など結構ポスト感のある構造をしているのだが、それを持ち前の黒さで半ば塗りつぶしてしまっている。結構そういった意味では意図的なバンドで、だから底意地の悪い音楽がよく映えている。二律背反というよりは時の黒さを目立たせる暖色の使い方がやはり非常に巧みだ。

地獄のような音楽が好きなろくでなしは涙を流して聞けるのではなかろうか。非常にこれは良い音楽ですよ。この世には希望なんかないんだというあなたにはきっと薬のように作用するのではなかろうか。さあ是非どうぞ。

khost/Governance

イギリスはイングランド、バーミンガムのインダストリアル/ドゥームメタルユニットの3rdアルバム。
2017年にCold Spring Recordsからリリースされた。
khostは2013年にJustin K BroadrickといくつかのpロジェクトをやったこともあるAndy SwanとDamian Bennettによって結成されたバンド。最近では日本の林田球さんの漫画「ドロヘドロ」のコンピレーションにも参加している。私はこのコンピレーションから興味を持って2nd「Corrosive Shroud」を購入した次第。
Sunn O)))に影響を受けたような垂れ流しの重低音に、エクスペリメンタルなインダストリアル要素とある意味よりとっつきの良いドゥームメタル要素をぶち込んだ楽曲を披露しており、モダンにアップデートしたGodfleshとも例えられるようなどっしりとした音楽だった。とても気に入ったので今回の新作も購入。

基本的な路線というか土台は同じで、一撃の重たい重低音を引きずるように垂れ流す。すでにリフは溶解しており、パワードローンといった趣すらある。そこにやけに金属的なドラムを絡めてくる。金属板をぶっ叩いて出しているかのようなキンキンした音は無人で動き続ける非人間的かつディストピア的な未来の工場で録音された騒音のようだ。ギターが奏でる重低音の響と、重低音〜金属的な高音まで抑えたドラムの相性はあいも変わらずバッチリ。そこに乗るボーカルはしゃがれたデス声でこれは妙に感情が抜けていて、明らかに焦点の合わない目で空虚にボソボソと呟かれている。デスメタルなんかは非常に感情的な音楽であるのに、激烈な音楽性を保ちつつそこを放棄しているのが面白い。一方妙に怪しい節のある「のわ〜〜」とした詠唱のような歌声も頻繁に使ってきてひじょに”リチュアル感”がある怪しい世界を構築している。ここまでは基本的に前回と同じ世界観であり、「ドロヘドロ」コンピレーションに提供した1曲目「Redacted Repressed Recalcitant」何はそのkhostの要素がぎゅっと詰まったキラーチューンと言える。ところが2曲目「Subliminal Chloroform Violation」では大胆に我が国の民謡「さくらさくら」をフィーチャー。khost流のインダストリアルに侵されて感情が抜けて腐敗している歌声が何とも恐ろしくそして虚無的で、退廃的である。いわば攻撃性から軸をずらしてもう少し別の地平を目指した音を作り出そうとしている姿勢が見られる。この曲以外でも「Low Oxygen Silo」では管楽器(トランペットかサックスかと思うが)がメインを張っているし、その他の曲でもアンビエント、女性ボーカルの導入(どれも感情が抜けている)、アコースティックギターなどなど、いわゆるヘヴィと称される音楽性では通常用いない要素、アイテムを大胆に取り込んで唯一無二の音楽を構築している。いわばデスメタル的な力自慢から明確に一歩退いて独自の音楽性を模索しているわけだけど、もともとインダストリアル成分と、程よく隙間の空いたドゥームメタルのフォーマットは新要素を持ち込むのは適していたのだろう。また過去作品でkhostの重低音は完成されていたわけだから、それを土台に次の武器を探しにいった過程がこのアルバム、といっても良いかもしれない。
「エクスペリメンタル」というのは今結構曖昧な意味でメタル界隈では使われているが、このように多様な音楽性を取り込みながらも唯一無二音を鳴らしているバンドには非常にしっくりくる形容詞だと思う。「Governance」では”非人間的な虚無さ”という統一されたテーマでまとめ上げられているため、異なる角度が全て円の中に収まっているように感じる。

2ndから大きく化けたんだけどこれが非常にかっこいいわ。こうなるために前作があったのかというようなぢ続き感もあってあるべきところにきっちりはまった感じ。インダストリアル好きは人は是非どうぞ。徹頭徹尾不穏で楽しい。金属的な響きにはその余韻に妙に寂しさがあると思うが、その余韻をひしひしと感じられるとても良いアルバム。非常におすすめ。

2017年6月18日日曜日

デニス・ルヘイン/コーパスへの道 現代短編の名手たち1

アメリカの作家の短編小説。
早川書房の「現代短編の名手たち」というシリーズの第一弾。このシリーズ他にはジョー・ランズデールをよんだことある。
もともとデニス・ルヘインは好きな作家であるのだけれど、この今となっては絶版になっている短編集は読んだことなくてtwitterで面白いよ!ということだったので買ってみた。これで一応日本で翻訳・発売されているデニス・ルヘインの本は全部読んだことになると思う。一番有名なのは映画化された「ミスティック・リバー」なのだろうか。ミステリー、ハードボイルド好きな人ならパトリック&アンジーシリーズは有名だろう。犯罪を犯す側、それを追いかける側の物語を書くことが多い。ディカプリオ主演で映画化された「シャッター・アイランド」なんかは犯罪と扱いつつも作者の新境地を切り開いた作品ではなかろうか。トム・ハーディの「クライム・ヒート」(原題「The Drop」)や、べん・アフレック主演の「夜に生きる」など主たる作品の映画化も続くし、本国での人気がうかがえる。日本ではどうなんだろう??

さてこの短編集には7つの短編が収められている。そのうち一つは俳優をやっている兄のために書いた戯曲で、これはその性質上地の文がなくてほぼ台詞のみで構成されているからちょっと異色といっても良いかもしれない。それ以外の作品はルヘインのお得意の犯罪を扱った小説。特徴として犯罪を犯す人が街のギャング止まり、というかプロの犯罪者というのはいなくて、一般人、もしくはチンピラくらいだろうか。若者が主人公になっている作品も多くて、そういった意味ではパトリック&アンジーシリーズの初期の作品に通じる雰囲気がある。重厚な長編を書く人なのでどの短編も長編とは趣がはっきりと異なり、どれも起承転結がやや曖昧である(話も多い)。扱っている時間が割と短めなので主人公たちも小説中で起こる出来事にはっきりとまだ意味や意義を付与できていない感じがあり、それが不思議な味となって読者の口に運ばれてくる。
オフビートな会話の中にも根っからの悪人(根っからの犯罪者ではなく、人生のある地点からドロップアウトしたという設定が非常に面白い。)である父親とムショ帰りの息子の対決を描いた「グウェンに会うまで」は非常に強烈だ。水面下では生き死にがマジで関わった火花がばちばち音を立てている。それをとぼけた会話の応酬で覆っているのだが、この緊張感がめちゃくちゃ怖い。ある意味更生する話だったのに、結局暴力から逃れられないような筋もルヘインらしくて良い。
そんな中でも一番気に入ったのは冒頭を飾る「犬を撃つ」だ。これに出てくるブルーという主人公の友人が素晴らしいんだ。歳食ってさすがに思春期と同じように本を読んで「自分みたい」って登場人物に感情移入することは減ったと思うんだけど(読む本の種類が変わってきたこともあるかもだけど、そういった意味では若いうちに名作と呼ばれる本を読むことはとても大切だと思う!!別に年取ってから読んでももちろん良いけど。)、このブルーというやつはあまりに冴えないやつで久々に読んでて心臓にビシビシきた。こいつはチビで顔も醜く、ひどい環境で育ち大人になっても貧しいまま。主人公以外は友達がいなく、当然女の子と付き合ったことなんかない。ビッチみたいな女(結婚してるし、主人は彼女と寝てる。ブルーもきっと気づいているんだろう。)に子供の時からずっと恋をしていて、それは年を経てグロテスクな崇拝になっている。まさに現実生活から微妙にずれている”ミスフィッツ”なわけだ。重要なのは彼はみんなに嫌われているわけではない。変わり者だが無害な奴と思われていて、要するに誰の記憶にもきっちり残らないような存在感なわけだ。そんな奴が暴力にその逃げ場を求めていくのはわかるよね。ちなみに彼は銃には異常に詳しいのだけど、身体的に徴兵検査を落とされている。この世界との不調和をルヘインがブルーの”ギクシャクした体の動き”で表現しているのだけど、これがすごい。
武器を操作しているときは別だが、ブルーは動きが突発的でぎくしゃくしている。震えが四肢を伝わり、指がものを落とし、肘や膝が細かく動きすぎ、硬いものに思い切りぶつかる。血の流れが速すぎて筋肉が脳の命令に従うのが四分の一秒遅れ、ついでその遅れを取り戻そうと速くなる、という感じだった。
なんてったって自分にも覚えがあるんだよね。いつもどこか緊張していて変な動きになってしまう。私も昔そんな自分の動きを「変だね」と指摘されたことがあるもんで。いわばこいつは悲しい奴なんだ。いっそのことカジモドくらい醜かったよかったのかも。「どうでもいい奴」でいることは悪人でいることより辛く、そして惨めだから。ルヘインの描写は執拗で弱い者の立場に立つ、というよりもはやいじめている側では??ってくらい私からした心にくる。ブルーが一体どうなるのか、それはもう予想通りな訳なのだけど。それが辛く救いがなく、そしてよかったのでは、とすら思ってしまうほど悲しい。彼はいい友達を持ったのだと思いたい。ブルー最後はどう思ったんだろう、きっとわかっていたのだろうと思うけど。この「犬を撃つ」だけでも十二分に読む価値があるよ、本当にね。
かなりの歳になって男の胸にわいた希望は非常に危険だ。希望は若者や子供たちのものだ。希望は、大人の男にとって-特に、ブルーのような、ほとんど希望に馴染みがなく、それが訪れる見込みのない男には-そうした希望は、潰えるときに焼けて血を煮えたぎらせ、その後に、何かたちの悪いものを残すのだ。

個人的には素晴らしい読書体験。本を読むってこれだから楽しい(別にうわーいって楽しくは全然ないんだが、むしろ辛い)と思う。是非どうぞ。

リチャード・スターク/悪党パーカー/人狩り

アメリカの作家による犯罪小説。
私が買ったカバーには若きメル・ギブソンが力の入った表情で銃を構えている。というのもこの作品メル・ギブソン主演で「ペイバック」というタイトルで1999年に映画化されている。実はこれより先んじて1967年に「ポイント・ブランク」というタイトルで映画化されている。要するに二度も映画化されるような人気作なわけだ。この物語の主人公はタイトル通りパーカーという悪党なのだが、2006年にも新作が発売されているくらいの人気シリーズになっている。作者のリチャード・スタークは又の名をドナルド・E・ウェストレイク。スマートとも悪党とも言えない犯罪者ドートマンダーたちの笑える活劇が人気だろうか。私も「ホット・ロック」のみ読んだ。とても面白かった。このパーカーのシリーズはそんなウェストレイクの面白さとは真逆の犯罪小説だというから興味を持って買ってみた。ちなみに「ペイバック」も子供の頃見たがもう内容は覚えてないな〜。

交通量の多いワシントン橋を強風の中朝8時に男が歩いている。彼の頭にあるのは貸しの取り立てである。武器の取引現場を襲い金を奪ったのは良かったが、妻と仲間に裏切られて重傷を負った。朦朧としているところを浮浪罪で逮捕され、監獄へ。看守を殺し脱獄し、1ヶ月かけてアメリカ大陸を横断。やっと彼を裏切ったやつらのもとにたどり着いた。男の名前はパーカー。

要するに仲間と妻に裏切られた男がやり返す話なのだが、大変面白いことに純粋な意味での復讐譚ではない。パーカー本人もいっている通り実は復讐というほど思い入れがあるわけではない。妻に裏切られたのもの別の女を探そうと思っているくらいだ。ただ彼は異常に貸し借りにこだわる。いわば取られすぎている状態だからおまけをつけてその借りを返してもらおう、というのがパーカーの論である。だから苦しめて殺してやる!じわじわ追い詰めてやる!とかいった湿っぽさとは無縁である。常に不敵に、そして乾いている。いわばこのパーカーという男がかっこいい物語である。彼は目標に沿って最短距離で歩く。復讐すべき男を追い詰めても金を取り戻さないと彼の旅は終わらない。だから裏切った男が所属するシンジケート(アウトフィットと呼ばれる)に手ぶらでいって自分の金を返せという。そんなことが通用するわけがないのだが。ドートマンダーはあの手この手を考え、そして苦労しながら実行する(大抵うまくいかないのが面白い)のだが、パーカーに計画はない。まっすぐ行く。この男のかっこいいのは、いきなりアウトフィットを襲撃して銃をぶっ放し、金を奪うというやりかたはしない。まずは知る限りの一番偉い奴のところに行き、「金くれ」というのである。不敵すぎる。もちろん障害となるのであれば殺しに対して一切の呵責や頓着がない。面倒だから普段は殺さないだけなのである。そもそも自分を裏切った男も、パーカーは最初っから臆病者だと思って自分が頃好きだったのだもの。妻に裏切られても泣くわけでもない。完全に悪党である。人間的な感情が多く欠落しているので、サイコパスといっても良いのかもしれない。彼の中には基本的には自分しかない。無鉄砲さもありがちな「死に場所を探している感」なんてセンチメンタリズムの出る隙がない。どんな危機も切り抜ける気でいるし、そうでないならその時考えるという不敵さ、傲慢さである。この非人間性がこせこせ生きている私たちを引き付けるのだ。結果的に構築された悪党のルールに魅了されるのである。
約250ページくらいの長さにパーカーの無駄のない行動がぎゅっと詰まっている。本当にこの短さによく収まったな!というくらいの濃密さで。無駄のない小説である。そして圧倒的に古びない。だからこそ30年以上経ってから映画化されても面白いわけである。多分現代に直して映画化しても面白いと思う。昔気質の犯罪小説が好きな人は是非どうぞ。

Entombed/Left Hand Path

スウェーデンはストックホルムのデスメタルバンドの1stアルバム。
1990年にEarache Recordsからリリースされた。
Entombedは1987年にNihilistとして結成され、その後バンド名をEntombedに変更。活動休止や分裂などを経て2017年現在も活動中。いわゆるスウェディッシュな(デスメタル)音楽では大変な功績のあるバンドと言うことで遅まきながら購入した次第。タイトルの「Left Hand Path」は左道のことで右道に対する要するに黒魔術と言うか、よろしくない方の魔術のこと。左利きもそうだけど世界的に左はよくない方向なのだろうか。なんでなんだろね。

聞いてみて思ったのはIneterment(同じくスウェーデンのデスメタルバンド)だな〜、という感じ。まあ順序が逆なんだけど。ブワブワたわませたようなぐしゃっと潰れた音が汚らしくリフを刻んでいくタイプのデスメタル。音質は決して良いわけではないのだが、前のめりに迫ってくる生々しい迫力がある。テクニカルでないわけではないが、もっと別のところを目指しているようなタイプの音で、その後メタルの範疇を超えてハードコアバンドに影響を与えたのも頷ける。ドラムのスッタスッタ刻むリズムも結構ハードコアっぽさがある。Trap Themのアルバムとか改めて聞いてみると「うへー」となること請け合い。何が良いってボーカルが良くてデス声というにはもっと掠れていてしゃがれている厭世スタイルで吐き捨てていく。
クリーンボーカル(呻くようないや感じのはたまに)もメロディアスさもほぼ皆無なわけで、グラインドコアにあるような勢いもないので、非常にぶっきらぼうかつわかりにくい音楽な訳で一体何がこんなにかっこいいのかというと一つは生々しい迫力があること。それから曲自体が優れていること。めまぐるしい技工みたいなものはないのだが、反復的に鳴らされるリフがかっこいい。荒々しい音の作り方もそうだが、現行のデスメタルに比べると結構空間的には隙間が空いた印象。速度の転換は結構あってドゥーミィだがやりすぎなほど遅いわけではないし、後世の発展系の原型が詰まっているようなイメージ。他の楽器が鳴り止んでギターが刻むリフを披露するパートがかっこよすぎる。かなり性急といった感じのギターソロが多め。

今からもう30年近くも前のアルバムだけど古びれた感じはないのでお勉強と言う感じで全くなく聞ける。(さすがに録音はちょっと弱いかなと思うけど。)デスメタルというジャンルも時を経て進化を続けているのだが、この音源はデスメタルの核心をついたアルバムなのかもしれない。「スウェディッシュ」という言葉がきちんと確立しているのだが、なるほどこういった音源があったからなんだなと実感する。いろんなスウェディッシュを今でも聞くことは多いので、そういった意味でもまだ聞いたことない人は聞いてみると面白いのではないかと。

Wear Your Wound/WYW

アメリカ合衆国はマサチューセッツ州エセックスのハードコアバンドの1stアルバム。
2017年にDeathwish Inc.からリリースされた。
Wear Your WoundsはアメリカのハードコアバンドConvergeのフロントマン、Jacob Bannonによるソロプロジェクト。Convergeのボーカル以外にも非常に影響力のあるレーベルDeathwish Inc.を運営したり、自身のバンドのアートワークも手がけるグラフィックデザイナーと活動しているJacobが新しく(と言っても2010年ごろから始めたらしい。)始めたのがこのバンド。全ての作詞作曲は彼が手がけている。この音源の録音は盟友Kurt Ballouが手がけている。ライブも結構頻繁にやっているようで、ライブは録音ではThe Red ChordやTrap Themのメンバーがヘルプとして入っているようだ。

ハードコアという範疇以外でも非常に大きな存在のConverge。日本ではThe Dillinger Escape Planと並んでカオティック・ハードコアという言葉(ジャンル)で紹介されていた。(今ではどうなんだろ?)基本的には激しいのだが、アルバムによってはなんとも哀愁のある曲をプレイする。例えば「Axe to Fall」の「Wretched World」(このアルバムで一番好き)とか、名盤「Jane Doe」の「Jane Doe」、「No Heros」の「Grim Heart/Black Rose」などがパッと思い浮かぶ。曲の速度もそうだが、その他の曲とは一線を画す世界観で私は激しい曲と同じくらいこれらの楽曲が好きだ。Jacobがソロをやってしかもその世界観はConvergeのそれとは違ってくる、というので俄然Convergeの前述の曲群が頭に思い浮かんだわけ。そう言った期待感で聞いてみると、やはりConvergeの激しさは皆無。でConvergeのゆっくりした曲とは確かに似ているのだけど、半分くらいで後の半分はそれとも異なるような要素が感じられる。じゃあそれは何かと言うと、一言でいうと”ポスト感”だろうか。ただこれも型にはまったそれらとは異なる、独自の方向性を持ったものだ。基本的にはバンド形式で曲が構成されているが、アコースティックギターやピアノを始め様々な楽器を取り入れていること。速度は基本ゆっくりで比較的長めの曲をやること。歪んだギターは頻繁に出てくるもの攻撃性はほぼないこと。こうやって書くと美麗なポストロックという感じがしてくるのだが、このプロジェクトの志向する世界はもっと曖昧である。メロディはあるが決して前面に出てこない。カーテン越しに呟いているようなボーカルもどこか個人的でわかりやすい共有がない。分厚いギターのトレモロと言ったキャッチーさもない。もっと儚く、その真意にはたどり着きがたく感じる。拒絶されている、といよりは個人的な感じがしてなかなか読み取れないのだ。
一言で表現するなら「ノスタルジー」だろうか。もちろん私は生まれも育ちも日本なのでJacobとは世界観を共有はしていないのだが、ゆったりとした曲調の向こう側に何かしら色あせた風景が蘇ってくる。長らく誰もいない家(廃屋と言うほど荒廃していない)で見つけた家族のアルバムを眺めているようだ。経年でくすんだ写真一枚一枚に(私がよく知らない)ドラマがある。誰か他人の物語だ。アルバムから目を挙げると埃っぽいガラスを張った窓から見える空は夕焼けに染まっている、そんな風情。物語だなあと思った。そうやってみると非常にロマンティックで、Convergeの荒廃して厳しい音の嵐の向こう側に垣間見える男っぽい(作家で言うならデニス・ルヘインだろうか)エモーションに通じるところはあると思う。整合されていない(定型化されていない)ノスタルジックさ、拡散していく美麗さは結構混沌としている。

綺麗でありつつもなんとも形容しがたい独自の音楽性を持っているのはさすが。ConvergeがConvergeと言う存在たりえているのはなぜかと言うことが少しわかるかもしれない。