2017年1月15日日曜日

京極夏彦/書楼弔堂 破曉

日本の作家によるミステリー小説。
京極夏彦さんの新シリーズということで久しぶりに読んでみることに。

文明開化後の明治20年ごろ元士族の主人公は勤め先から長期休暇をもらって家を出、郊外に一軒家を借りて悠々自適に過ごしていた。妻子とは離れてしまったが、元士族ということである程度の蓄えはあってこんなダラダラしていいものかな?と思いつつも無為に日々を過ごしていた。ある日偶然一風変わった本屋に出会う。灯台のような形をした店には書架、そしてその中には本がびっしりと詰まっている。店名は「弔堂」と言い、元僧侶という白装束の店主は全ての本は墓場のようなものという。この弔堂で主人公は様々な人々に出会う。

基本的に連作小説になっていて基本的な登場人物は一緒、主人公と本屋さんとその店員がいろんな人に出会っていくという体裁。ミステリー要素というのはこの主人公サイドの3人が出会っていくのが結構有名な人でなかなかその名前が明らかにされない。で読書としては誰かな?この人かな?なんて読んでいくわけでこれは結構楽しかった。ちなみに私は一人もわからなかった。名前すら初めて知った人もいたが。
京極夏彦さんというと妖怪の人というイメージ、本を読んでみると凄惨な描写も結構出てくるわけ。この本でも妖怪や幽霊は出てくるのだけど、人殺しは発生しない。謎というのは前述の客は誰か?ってことになるからいわゆる人が殺されて犯人が誰?という王道のミステリーではない。京極堂は理屈っぽい人だったけど、形としてはその理屈っぽさがもっと前面に押し出されている。弔堂を訪れる客たちは何かしらの悩みを抱えているのだけど、その正体がよくわからない。店主がまずその悩みを整理してこういうものだと説明する。それからこういった解決策もあるかもしれません、といって一冊の本を提示する。いわば精神科の先生か、カウンセラーのようなもの。この一連の解決までの流れは基本的に本屋の中で進行する。客も本屋だから「悩みがあります」とは来ないわけで、普通に本を求めてやってきた彼らの心の内を店主が見抜く、ということになる。ここれへんは直接現場に赴かないで伝聞や、その人の態度、言葉から人となりを見抜く安楽椅子探偵やホームズのような鋭い観察眼が生かされたミステリーとして読むことができる。殺人という大きな動きがないので結構落ち着いて読めるが、個人的にはもっと動きがあってもよかったかなと思った。店主が絶対的に正しすぎるきらいがある。店主が言っている内容に関しては基本的に同意できるのだけど、人間正しい理屈だからと言っても納得できるものではないので、結果同じところに着地するにしてももうちょっと議論があってもよかったかなと思った。(ただそうなると物語がわかりにくく、ページは増えるのかもしれないが。)

軽く調べてみると京極堂シリーズをはじめとしていくつかの筆者の作品とリンクしているようだし(私はわかる人もいればわからない人もいた)、京極夏彦さんが好きな人は是非どうぞ。京極夏彦は気になっているが分厚いのが気になる、という人はまずこの本を読んでみると、(現代を舞台にした作品ももちろん良いけど)時代もので存分に発揮される作者の魅力を味わうことができるのではと。

Harley Flanagan/Cro-Mags

アメリカはニューヨーク州ニューヨークのアーティストによるソロ1stアルバム。
2016年に171-A Records/MVD Audioからリリースされた。私が買ったCDには日本語の帯がついている。ライナーとかはなし、帯だけ。
ハーレイ・フラナガンはニューヨークのハードコアバンドCro-Magsの創始メンバーだっった。NYHC、つまりニューヨーク・ハードコアというジャンルでは伝説的なバンドだそうだ。過激な音楽性はもとより色々と話題性のあるバンドで興味のある人は調べて見ると良いかもしれない。ハーレイ・フラナガンは創始者だが今は袂を分かって活動している。ただこのソロアルバムのタイトルは「Cro-Mags」である。相当曰くがあるだろうな、ということがわかる。
アートワークは汚くペイントされた地下鉄の窓からナイフを持った腕が見えている不穏なもの。かつてニューヨークの地下鉄は危険地帯だったときいたことがある。興味深いのは写真は地下鉄の中から取られていて、ナイフを持った男は地下鉄内に侵入しようとしている。「お前が安全だと思っている場所もそうじゃないぜ」という危ない意図を感じた。

調べてもらえればわかるがハーレイ・フラナガンはマッチョな男性だ。めちゃくちゃ強面だ。格闘技の師範もやっている。どうも相当危ないこともやっているし、それを隠そうとしない人だ。もちろん彼の演奏する音楽もそんな危険に満ちている。
ハードコアはメタルと何が違うか?これは深い問いだ。深いというか多分本当にハードコアという生き方をしている人、またはメタルという生き方をしている人にしか答えられないんではと思う。門外漢の私が最近思うのはハードコアはリアルであることがとても重要だ。ハードコアの闘争というのは(例外はもちろんあるのだろうが)リアルで起こっているものでなくてはならないのではなかろうか。メタル・ハードコアでは恐ろしそうな、強そうな音楽を演奏するバンドが多いが、ハーレイ・フラナガンは究極的な握った拳(時にはナイフを握っているのだが)の恐ろしさ、根源的な暴力に裏打ちされた音楽をやっている。
ジャンルとしてはハードコアだろう。ピュアなハードコアだ。自信がベーシストということもあって異常に歪ませた硬質なベースがガロンガロンリフを引っ張っていく。つんのめるようにリズムを刻んでいくドラム。程よくスラッシーでワウを噛ませたソロも披露するがあくまでもハードコアであること、を命題にしたギター。そしてハーレイのボーカル。ハードコア特有の野太い吐き捨て型のボーカルは排他的なマッチョイズムとして敬遠されがちな”強さ”を隠すことなく披露している。やや滑舌が悪く、時に荒々しい(粗い)が、彼は上手い歌を目指しているわけではない。自分の闘争、それを支えた力、そしてこの先の闘争からも逃げるつもりはないぜ、という意思表明に他ならない。そういった意味ではアメリカン・インディアンのウォーペイントのようだ。

強烈なオールドスクール・ハードコアを楽しみたい人は是非どうぞ。善悪考慮なしの(というか悪い方は確実にあるのかね。)純粋な力の危うさを感じることができるかと。私は結構色々な話を聞くと影響されるけど、そういったこと関係なしにただ純粋に音楽として聞ける人の感想も聞いてみたいところ。

Ansome/Atowaway

イギリスは南ロンドンのテクノプロデューサーによる1stアルバム。
2016年にPerc Traxからリリースされた。
AnsomeはKieran Whitefieldによる一人ユニット。このフルアルバムをリリースする前に発表した音源ですでにクラブシーン、それからネットで注目されていたようだ。

ノイジーでダブ要素のあるテクノといったら珍しくないどころか割と世に溢れているジャンルなのかもしれない。しかしこのノイジーでダブ要素のあるテクノを徹底的に無愛想にやった結果特徴的になっているのがこのAnsomeという人。
ぶっといリズムが主役であとは脇役と言わんばかりの曲作りで、ガムガムタイトかつミニマルにビートを刻みまくる強烈なマシンビートが異常な存在感を放っている。徹底的なミニマリズム(もはや絶対、テコでもペースは変えないという我慢比べのような)はインダストリアル詰まる所無慈悲に一片の狂いもなく動き続ける巨大な工場を連想させる。機械に巻き込まれれば待っているのは四肢の欠損、もしくは死だ。そんな無情さがこもっているビートはクラブミュージックでは無骨すぎやしないかと聞き手が危ぶんでしまう。間に挟まれるこれまた金属質なシンバル、ハイハットの刻みもマシン感助長しているにすぎない。極限的に言えば心臓の鼓動なのだが、非人間的にすることで安心感というよりは落ち着きのなさを聞き手に与える底意地の悪さ。
上に乗っかるのも旋盤のような何か機械の歯が猛スピードで回転しているようなものや、何かの手違いで工具が床に落ちたようなガチャガチャ音、巨大な吹き抜けの向上に虚ろに反響するサイレンなどなど、まさに逃げ場はない。
不思議なもので毎秒同じ動きを繰り返していく機械を見ていると次第に催眠にかけられたようにトロンとしてくる。雪山ばりに眠ると死ぬぞ的な修羅場が展開されているのだが、許田きな機械に巻き込まれるという幻想がそこまで悪いものでは思えなくなってくるから不思議だ。脅すような描き方をしてしまったが、実際には結構高揚感を煽ってくる音楽であって(つまりクラブでなってかっこいい音楽である)ここがAnsomeの狙いなのだろうと思う。不快さを催す機械音のみで踊れる音楽の限界にチャレンジした、のようなストイックさも感じれらる、かもしれない。

まさに社会/会社の歯車として日々回転している諸賢に関しては是非またこの音楽を聴くことで自分の境遇を再認識して見てはいかがだろうか。原始的な工場で歯車になる夢をどうぞ。それは快感だ。(少なくとも快感と思う人もいる。)

Nothing/Joy Opposites Japan Tour2017@渋谷The Game

アメリカはペンシルバニア州フィラデルフィアのロックバンドnothingが来日するというのでライブに行ってきた。
Nothingは音楽的にはシューゲイザー/インディーロックのカテゴリに括られるのだろうが、レーベルはアメリカのエキストリームメタルをメインに取り扱う(それ以外にも幅広いけど)Relapse Records(その前はさらにハードコアなA389からも音源を出している。)というちょっと変わったバンド。もともとカオティック・ハードコアの巨星ConvergeのフロントマンJacobが主催するDeathwishからも音源をリリースしたことのあるハードコア界隈出身のDomenic Palermoが始めたバンドでハードコアを経由したうるさいシューゲイザーをプレイしている。今までに2枚のアルバムをリリースしており、私は両方のアルバムを大変愛聴している。ライブが見たいバンドだったのでこの来日公演は非常に楽しみだった。
場所は渋谷The Game。初めて行ったが比較的新しいライブハウスだと思う。2階にあるし、全面禁煙で綺麗。奥行きはそこまでないがステージも含めて横に広い感じ。18時過ぎごろに到着。ちなみにNothing以外には3バンド出るのだが一つも知らないし、予習もしなかった。

December
1番手は日本人3人組のポストロック。ボーカルレスのインストバンドでギターは椅子に座っているし、ベースの前にあるのはシンセサイザーかと思ったら(多分)鉄琴、ドラムは先端に丸ぽちゃのついたスティックを使ったりと色々とこだわりの感じられるバンド。
始まってみると堅実なリズム隊が土台を作り、その上にまさにシューゲイズなギター(エフェクターの量が結構えげつないことになっていた)が乗っかる。このギターは様々なエフェクトを駆使するのだが、基本的にリバーブがかかって奥行きのある音作りがされており、それが細かいトレモロを奏でていく。リフを反復的に繰り返していくわけではなく、もっと自由にメロディを奏でていく。そういった意味では非常に饒舌でメロディアス。同じく日本のArchaique Smileに通じるところがある。高音主体のトレモロが奏でる音は非常に美麗で温かみがあり、シューゲイザーでありながらポストロックの影響色濃い。
最後はギタリストが立ち上がってちょっとMogwaiの「Glasgow Mega-Snake」っぽい低音を押し出した激しい曲で締め。

The Florist
続いてオシャレで若いメンバーによる4人編成のロックバンド、The Florist。
FloristというとAnal Cuntが思い浮かぶのは会場で私一人だけだったのではなかろうか(というくらいの雰囲気でした)。
何と言っても透明感がありつつも甘いボーカルが特徴的な王道シューゲイザーを演奏するロックバンド。単音が意識されたギターがとにかくキラキラしている。ドリーミィかつ爽やかでまさに陽性のたたずまい。光がブワーってなるような光というよりはきらめき感のある感じ。インディーロックよりはうるさ目の音像で音の数はもっと多めだが、音でか目のライブということを考慮しても暴力的なところは皆無。シューゲイザーというと内省的でオタクっぽいから、結構そう言った意味では独自の世界観を構築しているバンドだなと。

Joy Opposites
転換の時にメンバーをみると明らかにいかつい。メンバーの一人は顎髭も逞しい外国の方でAlice in Chainsのシャツを着たドラマーには刺青入っている。「これはちょっと違う感じ」と思っていたけど、演奏が始まると果たしてシューゲイザー感はほぼ全くない。日本側のヘッドライナーなので予想を裏切られる感じ。とにかくオルタナティブっぽい。ほとんど装飾性のないギター、ベース、ドラム。リズム感が強烈に意識されたざらついた音質のギターが無愛想に重ねていくリフなんかはあの頃のオルタナ感がある。顎髭の方がメインボーカルなのだが、見た目に反して声が透き通っていて若い。ちょっと少年ぽさもあってそれが大変魅力になっていると思う。少年ぽいと言ってもシューゲイザーバンドのそれのようなあざとさはなくて、まさにオルタナといった風の無骨な中にもメロディーが溶け込んだ”歌”を軽快に飛ばしていく。2本のギターとベースの3人のフロントがみんな声を出していってここから生まれるコーラスはなかなか迫力がある。

Nothing
トリはNothing。写真で見てたからある程度は分かっていたけど実際にメンバーを見ると刺青もがっつり入っているしかなりいかつい。結構リラックスした様子でほとんどの機材を総とっかえしていた。ギターの二人はアンプが小さくてびっくり。こういったバンドのアンプは大きくなっていくものだと思っていた。二人いるギタリストは片方エフェクター少なめ(3つかな?)、もう一方多め。
転換終わって一度引っ込んだメンバーがのらーっと出てくる。ベースの人はT-シャツがDropdeadだ!彼は動きも一番ハードコアしてた。
音が出てくるとNothingだ。この日のイベントに出てたどのバンドとも確実に種類が違う。結構シューゲイザーの要素は強くて特に中音域に反響を伴って伸びていく音なんかはMy Bloody Valentineからのこの手の音の影響を感じさせた。何より”気怠さ”に溢れている。ただこの気怠さが曲者で例えば前述のMy Bloody Valentineの文学的・耽美的なそれとは違う。もっと俗っぽい「飽きちまったな」という感じ。それもむさい男の「飽きた」なのである。フロントマンDomenicはどうやら前科もあるらしいし、そういった意味ではマジでダメ男だ。そして去年出た新作のタイトルは「明日に飽きちまった」だ。連綿と続く毎日が明日も来ることに嫌気がさしている。差し迫った退屈と厭世観、それがハードコアを経由した暴力的なノイズに現れている。どちらかというと複雑さというよりは勢いと音のデカさで表現されたような強烈なノイズはやはり独特だ。シューゲイザーのオルタナティブではあっても往年のオルタナティブ・ロック(メタル)感はあまり感じられない。そこはやはりハードコアの影響色濃いのでは。冗長なポスト感も一切なし。実際目の前で見て聴いていて懐が広いというか、結構形容しがたいバンドだと思った。ただやはり俗っぽいというのが一つのキーワードで、天上の音のように形容されることもあるシューゲイザー/ポストロックに唾を吐きかけるような生活感があって、それがむしろ私のように「妙なる調べ」に勝手に拒絶されているように感じる卑屈な男にとっては救いになるのだ。憂さ晴らしだと言わんばかりに暴れるノイズが本当に胸に染み込むのだ。
セットリストは2つのアルバムから満遍なくで初めは戸惑った「Vertigo Flower」もライブで聴くとあれれ?と思うほどよかった。「Dig」、「Eaten By Worms」などNothingの暗さを感じさせる激しめの曲もやってくれたので嬉しかった。(個人的にはやっぱり「guilty of Everything」も聴きたかったな。)
1曲終わると間を挟んでいくスタイルでとにかくマイペース。フロントマンDomenic以外はほぼ喋らないのだが、当のDomenicも饒舌ではないし、喋っても「アリガトゥ」以外はほぼ英語。ウーロンハイやストロングゼロに拍手させたり、「飽きたな…」といったり(新作と絡めてのことだと思うけど)、メンバーと英語で会話し出したり。フロアに降りて座ってギターを弾いたりで自由で飄々としている。極め付けは最前の客をステージにあげてスマホで動画を撮らせ出した。これは面白かったな。ちなみに取り終わった後スマホをぞんざいに放り投げてた。
しかし演奏はやはり暴力的。ドラムのペダルが壊れ(ちなみに転換の時もそうだったがドラマーはスタッフから機材を受け取るごとにぺこりとお礼をして礼儀正しい人でした。)、ベースのストラップが切れるくらい。ほぼ音源に忠実な演奏だったがノイズは多めで単純に音がでかくて本当かっこよかった。バカみたいな感想だが、家帰って音源聴くと迫力が違った。ただ暴力的といってもそれ完全に表現の中だけであって、元ハードコアということで元ヤンキーみたいな怖さがあるかなと思ったら、完全にもうその過去は清濁合わせて飲み込んだという余裕が感じられた。完全に過去を消化しきって新しい音の模索を始めているのがNothingなのだなと。

新作に関連したマーチはかっこいいのが多かったので期待していたのだが、売れてしまったのかこの日はそんなに種類がなかった。クソカッコイイロングT-シャツを買って帰る。

Nothingは本当にかっこよかった。とにかくずっと見たかったから招聘してくれたIce Grillsさんには感謝しかない。ありがとうございました。

2017年1月9日月曜日

Kamaiyah/A Good Night in the Ghetto

アメリカはカリフォルニア州オークランドのラッパーの1stアルバム。(正確にはミックステープということらしい。)
2016年に自主リリースされた。この音源は彼女のホームページで無料でDLできる。
1995年生まれ若干21歳の女性ラッパーでDrakeと共演したりして知名度を上げているそうな。

私は女性ラッパーというとぱっと思いつくのはApaniくらい。学生の時に友達が貸してくれたnujabesの音源に客演していてその流れで聴いてた。それはもう10年以上前だからそれ以来きちんんと女性ラッパーというのを聴いていなかった。
別に女性ラッパーに苦手意識があるわけではないのだが、このカマイヤー(と読む)さんに関しては結構女性っぽくないラップを披露している。まずは声質が女性にしては低くてラップの方もどっしりかまえている。トラックメイカーは自身ではないようだが(プロデューサー=トラックメイカーなのか判然としないので間違っているかも)、声と同じく硬質にかっちり作られたタイトな楽曲はジェンダーレスだ。(もしかしてラップが男性優位の世界だとしたら男性的ということになるのかもしれないが。)女性らしいしっとりした、悩ましい(本人に悩みがある、もしくは逆に男性にとって扇情的であるという意味で)要素はほぼ感じられない。タイトルに「ゲットー」とある通り、いわゆるギャングスタ要素のあるタフなラップを披露しているのだろう。とにかく全体的なイメージは”強靭さ”だ。やはり貧困とそこから抜け出す(=リッチになる)手段としてビジネス(=ラップ)があるという、成り上がりの構図があるような気がする。ただインタールードに女友達との電話風の楽曲を挟んできたりと、ちょっとした小ネタで女性の持ち味を出しているのは面白いし、したたかだと思う。誰も彼女のラップを聴いて女々しいとは言わないだろう。(メロウな楽曲はいくつかあるし、どれも素晴らしい。)
どうも90年代を強くリスペクトしているらしく(MVにもそのセンスが現れているとか)音使いは今風のものとは一線を画す、結構それらしいサウンドだ。それらしいとはつまり少しチープに感じられるくらいテクノ感がある。最近よく聴いているRTJに比べるとただしトラックはかなり音の数が少ない。ぶっといマシンメイドなビートに薄い上物がふわっと乗っているだけで、あとはKamaiyahのラップが取り仕切っていく。彼女のラップはとにかく硬質で、最近はやり(だと思うのだが)ややオフビートな発声の仕方もあり、派手な飛び道具は用いず、ただただスキルのみで安定したラップを途切れることなく飄々と披露する。小節を抑えつつ、縛りのあるルールを飛び出して聞こえるくらい自由だ。この二律背反はヒップホップの醍醐味の一つではなかろうか。

強さが声に滲み出て空間を支配するくらい凄みがある。ただ全体的にはゆったり、飄々としているこのちょっとしたしなやかな複雑さはひょっとしたら女性らしさゆえなのかもしれない。文句なしにかっこいい。ヒップホップ聴きたいという人は是非どうぞ。非常にオススメ。

チャイナ・ミエヴィル/爆発の三つの欠片

アメリカの作家による短編集。
チャイナ・ミエヴィルの新作ということで買って見た。そもそもミエヴィルを読み始めたのが前回の短編集「ジェイクを探して」だった。表紙が私の好きな漫画家の弐瓶勉さんぽくてかっこよかったから買ったのだ。要するにジャケ買いだったんだけどその中身がよくわからないんだけど面白かった。そこから全部を読み切ったわけではないがミエヴィルは好きな作家の一人になった。

今回の短編には28つの短編が収録されている。数は多いから一つ一つは短いが結構読むのに時間がかかってしまった。ミエヴィルは決して読みやすい作家ではない。特に短編では彼のぶっきらぼうなところと、やや天邪鬼なところ(あえてわかりにくい書き方をするところがあるかなと、後述)が出ている。具体的には状況の説明があまりない。SF作家には結構ありがちだが、マクロな視点ではなくミクロな視点でも圧倒的に説明が不足しており、これはあえて書かれていないので「なんだなんだ」と思って読み進めないと状況が把握できないような作りになっている短編もいくつかあった。これはもちろんあえてこう書いているのであって、「暗闇を歩いているような不安な気分を味わってね」という作者の配慮に他ならない。いわば書かれた文字ではなく、そこから生まれる体験(よくUXとか言われるのと近いかなと個人的には思った。)もプロデュースしちゃうよ、というのがミエヴィルなのかもしれない。読みやすいわけではないが、代わりに他では得難い独自の雰囲気を獲得している作家だと思う。その持ち味が短編になるとギュッと凝縮されていて個人的には大変面白かった。読み解くような読書の遅さも楽しみの一つになったと言える。
自作を怪奇小説と称しているらしく(wikiより) その言葉通り、SF、幻想小説の垣根なく不思議な作品を書いている。(その世界観が遺憾無く発揮されているのが長編「ペルディード・ストリート・ステーションだろうか)ジャンルレスというより描きたいものが既存の枠に収まりきらないのかもしれない。相当頭のキレそうな人だからもちろんその創作物も複雑な意図に満ちているのだろうが、わかりやすいメタファーというよりは不思議そのものを描いているように思えるし、それが本書の帯の「シュール」という言葉に結実しているようにも思う。短編によっては異世界のことが異世界の言葉で書かれているように愛想がなく、異世界の説明不足のまま終わってしまうこともあり、ページを通して異世界を垣間見た読書はポンとそこから放り出されてしまうようなこともある。ミエヴィルのニヤリと笑う顔が見えるようである。(ミエヴィルは作家にしては(という言い方も変だが)強面のほうだ。)
個人的に気に入ったのは下記二つの短編。
「ゼッケン」これはチャイナ・ミエヴィル流の怪談と捉えた。ドイツを訪れた若い女性のカップルが幽霊にとりつかれる話。外国の幽霊譚というとびっくり箱的な恐ろしさがあるものだが、これはかなり和風ではないだろうか。因果がありそしてそれが結局生身の人間には理解できない、という作りがただただ恐ろしい。
「九番目のテクニック」これは魔術、もっというと呪いを現代的に書いた作品。これも方程式めいた独自の言語で書かれており、読み手は魔術師ではないので(私が愚かな性というのも大いにある)全てをはっきり理解できることができないのだが、現代に生きる黒魔術の世界を垣間見ることができる。ミエヴィルはトールキンを毛嫌いしているらしいが、未だに骸骨、蝋燭、反キリスト的な文言など旧態然とした魔術の要素・モチーフを使い続ける小説群に対しての強烈な反旗のようにも感じれらた。この本の中ではこれが一番面白かった。ぞわぞわきてしまうくらい面白かった。

個人的には大変面白かったのでいろんな人にも読んでもらいたい。読みやすいわけではないが、不思議な話(SFでも怪奇でも)に興味がある人ならすらっと楽しめてしまうと思う。是非是非どうぞ。
wikiを見るとまだまだ訳されていない作品があるみたい。新作も楽しみだがまずは既存の本を翻訳してほしいなと思う。とりあえずまだ読んでない作品を買ってみようと思っている。

THINK AGAIN/EVOLUTION

日本は東京のハードコアバンドの2ndミニアルバム。
2012年にBreak the Recordsからリリースされた。
3人組のバンドで残念ながらすでに解散してしまっているが、名だたるハードコアバンドとの共演や横山健さん主催のイベントへの出演など地上地下問わず”クロスオーバー”(調べてみるとこの単語で表現されていた)に活躍したバンドだったようだ。激しいライブはもちろん、被災地への支援活動などその活動は音楽を起点としたながらも縦横に広がっていたようだ。
名前しか知らなかったがディストロで売っていたのでなんとなく買ってみた次第。ドラムのチンウィルさんがやっている新バンドWWORLDの音源だけはもっているくらい。

パッケージ全体を通して赤と黒と白のみで構成されたアートワークが象徴するように地の通いまくったハードコアを演奏している。
ここでいうハードコアというのは速い、重たい、何より余計な装飾の一切ないいさぎの良い音楽のこと。どうしても速い、重たいとなると力強さによって支えられることになり、そこがともすると前面に出てくるものだが、このバンドに関してはこの力強さが男らしさ、にとどまり暴力礼賛になっていないのが非常にかっこいい。ストレートな日本語で綴られた歌詞にしてもまさにハードコアパンクだが、よく読んでみると執拗は他者批判(他者への責任転嫁)ではなく、俺からお前への激励とばかりに叱咤鼓舞する熱いもの。おそらく3人のメンバーがそれぞれボーカルをとるスタイルで野太いボーカル、かすれて甲高いボーカルとメリハリがあって良い。何よりこれがハードコアだ!と言わんばかりのコーラスワークが熱い、熱すぎる。これが前述の歌詞と合わさってまっすぐに放たれた矢の鋭さでもって聞き手の胸に突き刺さってくる。これが機関銃やレーザービームではないわけです。あくまでも筋肉はちきれそうになって振り絞って、放たれた矢の速さ。ファストコアやグラインドコアじゃない、しっかり地に足のついたハードコアの強靭さ、しなやかさを感じさせる。乱れた呼吸の荒々しさ、打ち付け、振り下ろすその筋肉の動きまで伝わって来そうな生々しさ。

調べてみるとハードコアのシーンでとんでもない輝きを放っていたバンドのようで私は本当に今更聴いたわけだけど、この音源1枚でその凄さの一端を垣間見ることができた。ハードコアが好きな人でまだこのバンドを聴いたことがない人は是非どうぞ。