2014年6月8日日曜日

ローレンス・ブロック/八百万の死にざま

アメリカはニューヨーク州の作家によるハードボイルド/探偵小説。
1982年に出版され、1988年に本邦にて翻訳の上発売された。
酔いどれ探偵マット・スカダーが活躍するシリーズの第5弾。PWA(アメリカ私立探偵作家クラブ)最優秀長編小説賞(シェイマス賞)を受賞した作品。私はローレンス・ブロックは初めて読むが、まずはということで名作と誉れ高い本書を手に取ってみた。

ニューヨーク州で無許可の探偵業を営むマットことマシュウ・スカダー。元は警察官であったがある事件で犯人を狙って撃った弾丸が、無関係の少女にあたり少女は死亡。犯人を逮捕したマットは表彰されたが、職を辞し探偵を始めた。酒に溺れたマットは今は禁酒中でAA(アルコホーリクス・アノニマス=断酒自助会)の集会に日参する日々。
そんなマットの元に知り合いの紹介でキムという美しい女性から依頼を受ける。彼女は娼婦で足を洗いたいので、ヒモを説得してほしいというのだ。ヒモにあいにいくと意外にもチャンスと呼ばれるその男はキムの件を快諾。事件は一件落着したかと思われた。しかし数日後キムはホテルの一室で滅多刺しにされ殺された。当然疑われたチャンスはマットに依頼する。真犯人を見つけてくれ、と。

実際に作者の紹介の欄に酔いどれ探偵と書いてあるのだが、全然そんな気楽なものではなかった。マットはアル中である。この本はアル中の苦しみがこれでもかというくらい書かれている。マットはぶっきらぼうな男でそつなくバーに行くものの、コーヒーを飲んでやり過ごしている。AAの集会に行ってコーヒーを飲みながら他のアル中の悲惨な話を聞く。なんだ、禁酒って結構簡単じゃないか?そう思いさえするのだが、毎日が続くのである。マットは身体的にはそれほど苦しんでいないようで、酒を断つのは純粋に彼の意思によるところが大きいように見える。飲まねえと思えば飲まないですむじゃんよ、と私なんかは思う訳である。しかしローレンス・ブロックの書く一日はなんと長いことか、なんと無味乾燥なことか。マットが禁酒を破る下りは圧巻であった。既に1週間(1週間である!)禁酒できているから大丈夫、一日2杯までというルールにするわ、守れているし明日の分をちょっと前借り、そしてマットは病院で目を覚ます。丸一日以上の記憶をなくして。大学生の頃中島らもさんの小説やエッセイでアル中の恐ろしさをちょっとだけ知ったことがあるけど、やはりこれは恐ろしい。アル中というのは終わりの無い戦いであって、それが死ぬまで続くのである。
ハードボイルドの主人公は誰でも問題を抱えている。同じ探偵のパトリック・ケンジーもそうだったし、一見ぐうたらなエロ親父のフロスト警部もそうだった。私は「心の闇」という言葉を聞くといつでも何ともいえない侮蔑的な感情がこみ上げてくる。しかしローレンス・ブロックはアル中を通してマット・スカダーの抱える孤独を書いているように思ってそれが恐ろしかった。マットは事件の捜査の過程でヒモ男チャンスが抱える他の娼婦達に話を聞きにいくのが、それぞれの娼婦がどちらかというと自分のことを饒舌にマットに語るのであった。彼女達もマット同様孤独を抱えていて、それをある種彼女達の人生の埒外からやって来た部外者であるマットという男だけに打ち明けるのだった。
本書は徹底的に暗い小説である。マットや娼婦達を通して、はっきりと言葉にはしないものの作者は現代の大都会に巣食う巨大な負の部分を書いているようだ。私が中学生くらいの頃は「セカイ系」が丁度大流行りだった。それらは世界を一旦破滅させることで絶望を書こうとしたが、この小説は同じ世界が続くこと自体が絶望のように書かれている。コンクリートで出来た摩天楼はその象徴のようで、崩れること無く立ち続けるようであった。そしてそこにマットの様な男達、娼婦の様な女達が入れ替わりながら同じように生き続けるのであった。ハードボイルド小説でそんな大げさなといわれるかもしれないが、この小説は毎日の連続が書かれている。そして生きることというのは毎日をこなしていくことに他ならない訳で、私はこの本をよんでそんな大仰なことを思ったのであった。

という訳で評価が高いのも頷ける一作。派手なアクションやニヒルなキャラクターを期待すると肩すかしを食らうだろうが、都会に巣食う闇をかいま見たいのでしたら是非どうぞ。しかしバーに深淵が待ち構えているなんて思っていなかったが。

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